ashinendのブログ

2次元オタクがジャニーズハマったけどジャニーズも好きな2次元オタクにしかなれなかった

ROCK READING 幸福王子レポと思いついたメモ

幸福王子レポ

というより、鑑賞中浮かんだものざっと調べて妄想した私のこじつけメモまとめ

まず前提として、私の世界観がかなり捻くれていて悲観的なのは承知してから大丈夫な人のみご覧下さい。

 

オスカーワイルドで好きな作品は

「王女の誕生日」です。

 

 

本来書く予定だった今野大輝君の普段のイメージと、パンフレットのビジュアルからめちゃロックなツバメをイメージしていたら

おっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっそろしく可愛い声のきらふわなツバメがいたことは他の人がより麗しく詳細に語られるのでそちらを是非。

元髙克樹君の王子が、幸福の王子???なやさぐれ1000%でびっくりしたけどビジュが良すぎて元髙克樹君ではなく元髙克樹君の幸福の王子にリアコ落ちしかけたけど、千秋楽終わったらもう存在していなくて苦しいとか。

なんか苦しさのあまりに逆転して幸福王子の元髙克樹君という反転現象が起きかけているとかは放り投げます。

※当方7MEN侍に限らず箱推しで掛け持ち沢山顔面推しは中村嶺亜君です。

 

あと、私の感想というよりは今まで私が触れた作品や知識による考察に似たただの深読みネタです。

 

具体的には、とおーい昔の西洋美術基礎の講義とか、今年読んだ敬愛するラノベ作家甲田学人氏の「断章のグリム」~しあわせな王子~から得た何かです。

 

オスカーワイルドといえば、サロメ新約聖書がモチーフというように

聖書やキリスト教と切り離せないので

幸福の王子もしくは幸福な王子の話より

うっすい教的知識を下に幸福王子とは

を感情的に読み解いたものです。

 

幸福王子見終わった直後の

私の醜い感情の発露としては、王子が、独善的な神様(キャラ)がみじめったらしく終りを迎えて(ごみになったのは美しいです)

苦しんでくれて嬉しいなと思いました。

って気づいたときに、流石に我ながら

ゾッとしました。

カナーンの首に口づけたサロメの気持ちってこんなものなのか…な。

 

ツバメは優しいが、柔軟ともいえなくはないがどちらかというと移り気。軽薄。

周りや気分によって価値観が変わる。

可愛くて可愛いツバメ。

きっと神様の庭に飽きるだろうし、飽きたら文句言うだろうし飛び立ちそう。

そう考えると、王子の上っ面だけの

原作だと贖罪のような、

舞台幸福王子だと正義のような

行いから垣間見える

ある種傲慢さと似たり寄ったりなのかと。

互いにわりと自分勝手でいいなぁ。

 

今まで実感しなかったのですが

朗読劇「幸福王子」を鑑賞して

幸福王子をキリスト教のメタファーと

切り離すのは難しかったです。

今日調べる限り、キリストの受難とかは

違うかなと思いました。

 

が、それでもTheキリスト教っぽい。

 

よく見かけたので王子とツバメが

幸せなのかという問題に私は

王子は、王子がきちんと結果ではなく原理に

関わる事が幸せだと信じていれば幸せだろうと。

より悲観的な解釈だと幸せだと言い切らないと、ツバメの死が無意味になりそうでしんどい。

少しでも愛していたのなら、あそこまで

強く自分の信念もっていたなら

幸せと言い切る覚悟を持ってツバメにお願いして。

 

だから王子なのかな。

 

ツバメは見終わった後、行き来できず別々だとしてもまた楽しみや恋を見つけ

また飽きてどこかに

行きたくなるんだろうなと思って。

 

オペラ「カルメン」のカルメン(あんな剛毅さはないが)が少女だったらみたいな感じのイメージが今野大輝君のツバメから受け取れました。

 

小鳥の囀りのように明るい重くない声で

薔薇を非難して責任転嫁してしまうんだし。

 

それが原作読んだ時はムッとしたのに

あの今野大輝君のツバメなら仕方ないと

思わせられる。

ツバメの不思議な魅力は

音にして、声に色がのってこそ分かるものだったのかな。

 

幸福王子の幸せは

きっとね、

青い鳥のように

自分と自分の周りにあると思うんだよなぁ。

もし彼が人間ならだけど。

 

でも彼が神の子なら、

ずっと怒ってしんどいけど

少なくとも人ではないのだから

人の言う幸せは必要ないのかもしれない。

 

何ていうか、

私が私という主語のみで

王子可哀想とおもうのも

王子は幸福だと思うのも

王子にとって馬鹿馬鹿しい

のかもな。

 

はぁ円盤化かCD化か再演………

せめて舞台のビジュアルのブロマイド下さい。

 

毎日毎日、幸福王子の本髙克樹君求めて

本髙克樹君を探して

面影(?)に泣いてしまう。